立花月夜の脳みそ

現実と幻想のあいだで、思考を遊ばせる場所。

【下妻市長】見せしめとしての「自殺」と、現代に生まれた“予防線”という発想

 

 ハロウィンやアニメで描かれる「魔女」は、どこかファンタジーの存在として消費されています。けれど、その背景には、かつて教会が異端者を裁き、財産を没収し、見せしめとして処刑してきた歴史があります。 魔女狩りは“宗教的な儀式”ではなく、“制度化された資産没収と社会統制”でもありました。

 こうした「不都合な存在を排除する仕組み」は、中世だけの話ではありません。現代社会でも、形を変えて動き続けています。

■ 下妻市長の「突然の死」が投げかけた違和感

 2004〜2005年、茨城県下妻市の市長だった山中博崇氏は、全国に先駆けて「不法就労通報報奨金制度」を導入しました。

 地域の治安維持を目的とした施策でしたが、国やメディアから強い批判を受けます。

 ここも理解できませんよね。不法就労を取り締まることは当たり前のことなのですが。

 その直後の2005年3月、山中氏は市庁舎内で亡くなっているのが発見され、公式発表は「自殺」でした。

 この出来事に対し、一部の人々は強い違和感を覚えました。

「なぜ捜査はほとんど語られないのか」 「なぜ詳細が明らかにされないのか」

 もし外部の犯罪であれば、警察は成果として大きく発表するはずです。 しかし、ほとんど語られなかった。 その沈黙が、かえって疑念を呼びました。

もちろん、事実関係は慎重に扱うべきです。

 ただ、社会の“構造”として、 「不都合な存在が、静かに消えていく」 という現象が起きやすいことは確かです。

■ 歴史が示す「排除の仕組み」は、いつも静かに動く

 魔女狩りの時代、教会は「魂の救済」という名目を掲げながら、実際には財産没収を行っていました。

 現代でも、制度や権力の都合に合わない人物が、社会から姿を消すことがあります。    それが本当に自殺なのか、偶然なのか、圧力なのか――外からは判断できません。

 ただ、 「自殺」というラベルは、社会が最も納得しやすい“処理方法”である という構造は、昔も今も変わっていません。

■ だからこそ生まれた「私は自殺しません」という宣言

 近年、著名人や社会的に影響力のある人が、SNSで 「私は自殺しません」 と宣言するケースが増えています。例を挙げると、イーロンマスク氏、参政党党首神谷氏になりますが、ほかにもたくさんの著名人が声をあげています。

 一見すると奇妙ですが、これは“自己防衛”の一種です。

 神谷氏は暗殺を心配する党員に対し、

「暗殺されるときはどんなに守りが硬くても、暗殺されます」

と、SPや防弾ガラス越しの演説を拒否しています。

 それらは、国民との距離を遠く隔ててしまう。

● なぜ効果があるのか

・もし本当に自殺と報じられた場合、周囲が「おかしい」と気づきやすくなる ・「自殺」という最も使いやすい説明が、権力側にとって使いにくくなる ・不自然な死を演出するコストが跳ね上がる

つまり、 「自分の死を、勝手に物語化させないための予防線」 として機能するのです。

これは、現代の情報社会だからこそ可能になった“逆手の取り方”とも言えます。

■ 私たちが見落としがちなこと

 日本は「安全な国」と言われますが、政治や行政の世界では、情報が表に出ないまま処理されることもあります。 それは陰謀論ではなく、どの国でも起きる“権力の性質”です。

問題は、 私たちがその構造を知らないまま、表面の説明だけを信じてしまうこと にあります。

 社会の仕組みを理解しないまま、「なんとなく安心」を選び続けると、気づかないうちに自分たちの自由や安全が削られていくこともあります。

■ 日常の視点で言えば

・ニュースの「公式発表」を鵜呑みにしない

・違和感を覚えたら立ち止まる

・権力の仕組みを知る

・“見せしめ”の歴史を学ぶ

 こうした小さな姿勢が、社会の健全さを守るための大切な一歩になります。

 私たちを守るのは、政府ではないのです。私たち自身です。